07執行苦渋の記録 第2幕 ~ルパン三世は記憶喪失~

~前回までのあらすじ~
07年度生はたくさん入会して、結構いなくなった。

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なんとなく不安のつのるサマーデイズ。時差ボケで練習もままならない昼下がり。
私は、途方に暮れていた。
1ヶ月の間英国にていんちき通訳の仕事に励みながらドイツ人にギターを教えてもらっていた私は、簡単なコードを覚え、少しギターを弾ける気になっていた。しかし、帰ってきてまず目にしたのは学年合奏など比にならないほどオタマジャクシにまみれた楽譜であった。
読者諸賢は楽譜には音の長さが記してあるということをご存じだろうか。私はご存じではなかった。
音程だけが記してある楽譜を見て曲を奏でる音楽家とは私にとってまさに魔法使いだったのである。私は魔法の種明かしをされながらもそれを理解することはできなかった。4分の4はなぜ約分して1にならないのか、半音とは一体何なのか、私はこの苦境に立ち、今一度全力で逃げ切ることを決心していた。三十六計逃げるに如かず。先輩の楽譜を覗きこみ、運指を記憶、自分の楽譜に書きうつし、弾きまねをしながら曲を暗記、演奏に臨んでいた魔法学校1年生の私には常に1分1秒が修羅場であった。
しかし小学生のころから続いていた10年以上に及ぶ私の逃走劇はある日突然幕を閉じる―


2007年9月。~オードリー・ヘップバーンのように~
当会の活動は前期と後期に分かれており、前期のキャンパスコンサートが終わると納会という名の忘半年会が開かれる。きっと忘れたいことが多すぎて年末の忘年会が待てないのだろう。半年間の様々な苦悩と一緒に忘れてしまったギターの弾き方を思い出すために行われるのが8月の音取り日であり、この9月の3日から7日に行われる強化練が本格的な後期活動の始まりである。
私やゆきは後期から2ndに配属された。同期の道明は3rdにて先輩の楽譜に運指を書き込む作業に忙殺されながらも、圷などとそれなりに練習をしていた。ギターが弾けるからと言ってあまり図に乗るなという先輩方の愛だったのだろう。敷島は飲み会では楽しそうにしていたが、それ以外はあまり記憶にない。練習にはいたのだろうか。当時のことを知る者は教えてほしい。
新しい楽譜が配られ、私は途方に暮れつつも、全神経を集中し周りの音を聞き、先輩の左手を穴があくほど観察し、楽譜を運指で埋めていった。しかし、ある日、隣に座ったパートリーダーは私の楽譜を見ながら言った。
「山口、その運指、消して」
これはパートリーダーである先輩との殆ど初めての会話である。私はなんとかこの非常事態を潜り抜けるべく、無い脳みそをフル稼働。この楽譜を後でコピーし、家に保存しながら、この楽譜の運指を消せば、と考えたところでMONOの消しゴムを手渡された。動作は優しくも今ここで消せと言わんばかりの迷いのない動きに私は、負けた。
綺麗になった楽譜を手に私の万策はついに尽きた。隣で平然と運指を書き込み演奏している同期男子を、ローマの休日のヘップバーンの如くギターでぶん殴ってやろうと思ったことは秘密である。
「ドレミは書いてもいいよ」
というパートリーダーの優しい言葉に私は泣きそうになったが、ひとつひとつの音符の音をとっていくことが英語を訳すことよりもずっと困難な行為であることを思い出し、本当に少し涙腺が緩んだ。
同期の女子たちが少しずつギターを弾けるようになるのを私は眺めていた。あるとき、ゆきの楽譜を覗きこむと、運指が書いてないことに私は気がついた。私は訊ねた。
「ギターやったことあるの?」と。
彼女は答えた。
「ピアノはやってたよ。音聞けばだいたいわかるし。ぐっさんはなんか楽器やってたの?」
「鍵盤ハーモニカとリコーダーを少しね。」
私は微笑みながら、お前も俺のギターで地に沈め。と強く思ったことはもちろんナイショである。
こうして私のギターの音は練習教室からしばらくの間フェードアウトすることになる。

この時期は07にとっては先輩の演奏レベルにしがみついていくのがやっとの時期である。しかし、追い込まれながらも余裕をかますのが07である。我々はなんくるないさと言わんばかりの頻度で遅刻欠席を繰り返し、練習後の飲み会から参加するつわものまで現れた。彼は飲み会にこそ己が活路を見出し、率先して一人トイレで痙攣する道を選んだのである。私は心から思った。君はありったけの力で進む道を誤ってはいないか、と。彼は真っ先に当会を去っていくであろうと予想していた者も少なくはなかったはずである。しかし、彼がその不屈の精神をもって幾度となく死線を越え続け、飲み会の幹事という誉れある役職にてその手腕を振るうようになるのはまだ先のお話。
一方、この頃いち早く曇りなき眼にて現実を見つめ、退会の道を選んだのは佐藤明であった。彼の決定には何一つとして間違いはなかったが、多くの誤算があった。
私は前期同じパートであった彼が当会を去ったことにしばらくの間気付かなかった。薄情と言われれば返す言葉もないが、音楽的知識の無さを露呈し追い詰められる中、○ー娘もかくやというほどのメンバーの出入りの多さに状況を把握しきれなかったということ理解していただけたら感謝の極みである。ここからは彼女たちを見習い退会ではなく卒業という言葉を使うことにする。

このような状況の中、我々07は初めての夏合宿に参加した。10日から16日の6泊7日の長期間の合宿である。私はバスに乗りながら、07の人数が少しばかり足りない気がした。しかし、本当は何人残っているのかわからなかったこともあり、私は考えることをあきらめた。
合宿に至ってもまともに練習にすら参加できない私はやさぐれ、自分の独奏の曲の練習に集中した。合奏など自分がいなくともなんとでもなるではないかと自分に言い聞かせた。
すっかり弾きまねの上手くなった私はこの合宿もごまかせればそれでいいと思っていた。しかし、私はまたも膝を折ることとなる。
合宿での練習は午前と午後に分かれ、夜になると上級生だけの練習となり、1年生はフリーの時間となる。しかし上級生に比べて短いその練習時間も私が満身創痍になるのには充分であった。
パートの練習では区切り区切りで確認が行われる。本当に弾けているかの確認である。
「じゃ全員で合わせてみよう」
パートと言っても10名以上いるパートである。いくらでもごまかしが効く。私の左手は動いていたが右手はあまり弦に触れることがなかった。
「じゃ上級生だけで弾いてみて」
高みの見物である。
「では上のパートだけで」
実はパートはパート内でも上下二つのパートに分かれている。私は雲行きが怪しくなっていることに気がついた。
「上のパートの07だけで」
一転見せ物である。それでもごまかしきった私は休憩時間を望んだ。
「じゃ山口だけで」
所詮全ては泡沫の夢物語である。私は目の前におかれたメトロノームとは未来永劫絶対に友達になれないだろうと強く思った。その後続いた公開個人レッスンも今となっては愛しい想い出。
最早弾けないことに恥もへちまもなく、私は諦めて合奏の練習をした。
私が嫌な汗をかきながら練習に勤しんでいる頃、1stではタケノコニョッキで遊んでいたということを知ったのは合宿が終わってからのことである。私にはもうギターを振り上げる気力もなかった。
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ここから先に語る話にはあまりギターの話が出てこない。しかし、これは我々明治学院大学クラシックギター研究会の練習合宿の記録であり、そこにうそ偽りはない。我々は過去の合宿の状況を真摯に受け止め、未来に活かさなくてはならないだろう。
酒は足りているか、テレビゲームは64とプレステ2だけでいいのか、レクはこの程度でいいのか。課題は山積みである。

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これは、我々が1週間に及ぶ夏合宿で勝ち取った滴る汗の汗による汗のための勝利。彼らは毎晩のように、宿の管理人の家族の睡眠を犠牲にしてでも勝利を追い求めた。
練習が終わると彼らはビリーと呼ばれる男のもとに集い、己が体を鍛えぬいた。
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彼らは睡眠時間を削ることもいとわず、戦った。
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中には志半ばで倒れている仲間もいた。しかし彼らは止まらなかった。
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いかに戦友が減ろうとも輝ける未来とむちむちなカラダを夢見て。
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ビリーズブートキャンプの全てが終わったとき彼らは咆哮する。
『ヴィクトリー!』
もう二度とあのキャンプは開かれることはないだろう。なぜなら、
宿の人に迷惑だから。再び歓迎してくれるロッヂ白い鳥に我々は心から感謝しなければならない。

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これは重奏曲の研究をしているところである。戯れではない。

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この丁度1年後、007のテーマはテレビ画面を抜け出し、我々07男子の手によって演奏されることになる。

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後のBassパーリーは布教活動に余念がない。

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ことの発端はなんだったのか、私は知らない。しかし彼らは本気で戦っていた。あたりを水浸しにしながら。
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戦いから芽生えるものもあるとか、ないとか。
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それもこれも今となっては愛しい想い出。

夏合宿が行われるロッジ白い鳥の近くには川がある。
しかし、水かさの増した川に入るのは危険だということで合宿係により川に入ることは禁止されてしまった。会員のほとんどは成人した大人である。聞き分けだってある。
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しかし、それ以上に水が大好きである。
彼らは反省はしても後悔はしない。

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07生の独奏である。クラシックを弾きこなす者、いつ演奏が終わったのかわからないほど斬新な編曲で皆を驚かせたもの。いずれにせよ我々の独奏発表会は無事に終了した。

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私はパートリーダーが弾いた『そのあくる日』という曲が気に入り、楽譜をコピーさせてもらった。
『そんなに難しい曲ではないから、すぐにできると思うよ。』
私はその言葉を喜々として信じ、練習を始めたが、弾けるようになるには2年の歳月がかかった。
後に先輩は言った。
『ごめん、あれはちょっと嘘だったかも知れない。』


飲み会は愉快でなければならない。誰もそんなことは口にしないが、きっとこれは当会に身を置いているうちに暗黙の了解として身に刷り込まれるのであろう。あるものはロケットスターターのごとき勢いで酔い潰れ着せ替え人形となり果てた。またあるものはナース服に身を包み手当たり次第に人を投げ飛ばした。
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楽しくなるためには時にすべてを賭けなくてはならない時がある。しかしベットするものの多くはプライスレスなものであり、返ってくることはない。しかし、減るものでもない。
それゆえ、少し先の未来について考えることをやめてしまえば、いくらでも勝負し続けられるのである。
『携帯折ればフリーダム』と叫んで携帯を真っ二つに折った彼は、私にそのことを教えてくれた。
でも新しい携帯電話は有料だからみんなは気を付けた方が良い。

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合宿を終えてみて、私には妙に心に引っかかったことがある。
小黒さんはなぜ二重奏の曲を一人で弾いていたのか、ということだ。きっと先輩には何か深い理由があるのだろうな。と私は自分を納得させた。

2007年10月。~しわ寄せがやってくる~
この頃、定期演奏会を最後に当会を卒業する意思を公表した者がいた。正確には者ではなく者達である。一方、新たに、ではなく、改めて当会に戻ってきた者もいた。入会当初から、06には酒を飲みすぎて体をこわし、現在入院中の人物がいるという話だけは聞かされていた。ちなみに小黒さんと二重奏をする約束をしたっきり入院したのは彼である。
そんな彼が帰ってきたのである。彼は練習についていけない私を励まし、自分はもっとできないから安心しなさいと私に説いた。彼がむせながら煙草を吸う姿を見て私は思った。彼とは来年も一緒に演奏できるのだろうか、と。
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このときの私は、1年後に彼と切磋琢磨しながらともに独奏のオーディションに出るなどと予想できなかったことは言うまでもない。

27日は当会の40周年式典が開かれた。
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式典では上級生による演奏が行われ、豪華景品付きのビンゴ大会も開催された。
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私はたまに道明の言っていたことを思い出す。
「世の中には様々な人間がいる。納得のいかないことも多い。しかし、生まれもった運にはきっとかなわないのだろうな。」

この式典がことの発端となり、このとき当会とは何の関係もなかった佐藤明は後に思わぬしわ寄せを受けることになるとは、きっと夢にも思っていなかっただろう。

31日からは白金祭の準備が始まった。我々は団子を売ることになっていた。
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2007年11月。~大学自治と自己責任~
1日から3日にかけての白金祭では私たちはひたすらに団子を売った。団子のようなものも売った。味にも衛生にも保障などはないのである。しかし学祭というものはそういうものだろう。大学内に蔓延る出店の商品のほとんどには、『―のようなもの』とつけるべきである。たとえお腹の具合がおかしくなっても何が原因だかはわからない。半端な覚悟で挑んだほうが悪いのである。
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そして4日には後練なるものが行われた。
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白金祭の打ち上げで目黒で飲み明かし、漫画喫茶にて始発を待って戸塚にて練習をしたのである。
この後練は本当は05だけで行われるはずのものであった。しかし、私と道明はついて行ってしまったのである。もちろん05の学年合奏の練習には参加できないため、見ているだけである。しかし、参加した意味は大いにあった。
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後に私と道明は後練の状況を思い返し語りあった。
『あんなことは二度としてはいけない。この教訓は後世に語り継がなくてはならない』と。
オール明けで練習など出来るはずないのである。

2007年12月。~紡ぐべき歴史とそれ以外。~
1日。ついに1年の総決算、定期演奏会を迎えた。07はこのメンバーで演奏する最後のコンサートということもあり、気合いが入っていた。と思う。リハーサルが始ってから音取りを始めたのはもちろんここだけの話である。
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演奏会が無事に終わると、思わぬ事態が起きた。やめると言っていた07のメンバーがまだ続けたいと言い出したのである。後に定演効果と呼ばれるこの現象。その効力は1年しかもたなかったことを除き、後世に語り継いでも良いと私は思う。
一方、客席にてこの演奏を聴いていた者がいた。放浪中のトランペッター明である。
演奏会の終了後、私はホールにて明と少し話をした。彼はオケでトランペットを吹くために当会を去ったのであるが、トランペットの欠員はなかなか見つかるものではない。私は言った。
『戻ってきちゃえばいいじゃない』と。
これは本当に帰ってきた彼と私の感動秘話ではない。
なぜなら彼が戻ってきたとき私がこの話をすると彼はこう言ったからである。

『そんな話したっけ?』

                                       To be continued.............

次回は2008年度前期活動。
007再び。~彼らはまだそのミッションの恐ろしさに気づいていなかった~をお送りします。
帰ってきた明。そして期待の新星現る!でもその正体は。。。
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テーマ : ギター
ジャンル : 音楽

07執行苦渋の記録 第1幕 ~帰りたい帰れないカントリーロード~

これは、我々07執行が執行になるまで歩んできた、長く険しい、わりとどうでもいい2年間の物語―

かつてこの明治学院大学クラシックギター研究会には、21人の07年度生がいた。彼らはてんでばらばらの方向を目指して邁進し、結果何ひとつとして実益あることを生みだしはしなかった。プラマイマイナスの6人を残すのみとなった我々に言えることはただ一つ。
『我々のようになってはいけない。なれないと思うけど』

温故而知新、可以為師矣。我々の歩んできた歴史を知ることで、もしかすると何かの役に立つかも知れないし、てんで役に立たないかも知れない。まぁたぶん何の役にも立たない。
教訓を求める方が悪いという教訓。自分たちの道は自分たちで切り開いてこそ価値があるのだ。恐れずに進みたまえ。

ここからは遠巻きから皆の様子を眺めていた私、山口がお送りする。私が見てきたこと、聞いてきたことを客観的に、時間軸を整理しながら歴史を紡いでいこう。自分には関係のない小説でも読む感覚で読んでいただければ幸いである。何か間違いがあれば訂正を。でも面倒だから出来るだけしないでほしい。やめておいた方がいい。

それでは2年と半年ほど時を遡ろう―

2007年4月。~迷える横暴な子羊たちとそれぞれの布石~
当時、私はまだ純朴な1年生だった。新しい生活への期待を胸に戸塚の山を一歩一歩登ったことは昨日のことのように思い出される。一体どのような出会いがあるのか。かわいいコはいるだろうか。刺激的な学問との出会いはあるだろうか。かわいいコはいるだろうか。
図書館で手を伸ばした本、そこに伸びてきたもう一つの手、あっと同時に手を引っ込め見つめ合う。互いに譲り合った揚句、彼女のお腹がくぅ~と鳴る。『学食でも行きませんか。』と。同じAランチを食べながらはずむ会話。そんな彼女は同じ学科の1年生で…なんてことはもちろん起こらない。ちなみに明学にはAランチだって存在しない。新歓期間と言ったら有象無象数多のサークル勧誘にもみくちゃにされ疲れ果て、適当なサークルを選び、なし崩しに入会するのが関の山である。
しかし―あの遠望橋を往復すること3回。私は一度としてビラを差し出されなかったのである。私は新入生だと叫びそうになるのを堪え一人静かに帰ろうとしているところで声をかけてくれたのがこのクラシックギター研究会であった。

2日から9日まで行われた当会のオリエンテーション期間では1週間ぶっ続けで飲み会が開催された。無論新入生はタダである。タダより安いものは無し。大学という新天地に足を踏み入れたばかり、何もわからない迷える子羊のような我々は、飲み屋で好き放題飲んで喰らって、財布の重みに一抹の不安を感じた先輩方に醤油ごはんとビールだけで生活することを強要した。この頃から若干新入生扱いをされなかった道明と私は、早くも渉外席や3年生の席で飲みの時間を過ごすようになり、新歓コンサートの機材運びなども手伝わされ、同期からも先輩と勘違いされるようになる。今はまだ、あえて誰とは言わないが現在の1stパーリーは、06の1stパーリーに酒の席での飲み比べに敗れ去り、いつの日かその屈辱を晴らすことを強く誓った。とある女の子はバンドがやりたいと言いつつクラギの雰囲気を気に入った模様。大学でもトランペットを吹く予定だったとある新入生は以前から興味のあったクラシックギターの演奏に興味を示し始める。それぞれ何の共通点ももたないまま我々は道なき道を歩み始めた。
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毎晩のように開かれる飲み会では出された料理と酒の8割が便器に流された。便器以外のところに流される場合もあった。これこそが大学生と勘違いをしたまま当会に入会したものは、その殆どが己が過ちに気付かぬまま大学を巣立っていく。
それから数日後、14日から15日に行われた新歓合宿。07年度までこの新歓合宿はその例年のキャンプ場名をとって『鳩ノ巣』と呼ばれていた。しかし、この『鳩ノ巣』はこの年で最後となる。奪い合った材料で作ったカレー、何だかわからんが頑張ったらしい先輩方に渡されるプレゼント。楽しい宴会―。しかしそれだけでは終わらないのが07年度生のチャームポイント。赤ワインをリバースしながら暴れ狂う者。落ちていた財布の中の1万円札を口に放り込みぐっしゃぐしゃにして吐き出す者。『ピン札だったのに…』と1万円札のなれの果てを手に膝を折り崩れ落ちるもの。2階の窓から飛び降りようとするもの。鍵の閉まらないトイレに立て籠もるもの。階段から転げ落ちながらリバース、前歯を折って血まみれになりながらのたうつ先輩をしり目に、場外ではヤンキーと乱闘を起こす者。先輩方がドロップキックで吹っ飛ばされていたころ、私は泥酔してワインまみれの布団に横になった同期に、大日本帝国と三島由紀夫の生涯について滔々と説かれ、日本人として恥ずかしくない生き方をすることを約束させられた。体格の良い彼が乱闘に参加するのをシーツで縛って止めた功績はもっと評価されるべきだろう。流血騒ぎは置いといて賑やかなのは良いことだと私は思う。
こうして当会は鳩ノ巣キャンプ場を使用できなくなった。新たなキャンプ場を開拓できたのは我々の功績の一つと言えるだろう。

21日には初練が行われた。ほとんどの1年生がギター初心者、音楽初心者、クラギの存在すら知らなかったため、先輩方の指導が難航したことは言うまでもない。私が楽譜の上ののたうった様な模様を指差し、これは印刷ミスなのではないかと先輩に苦言を呈すると、先輩は静かに答えた。
『それは8分休符だよ』と。
休符とは何なのか、と新たに浮かんだ疑問を先輩にぶつけることができたのは、またずっと後のお話。

この頃、飲み会の席で交わされた誓いがある。
 
『クラギの中で付き合うなんてありえないありえない』

ありえない。そう。当事者が誰も守ることのできなかったこの誓い。
落とし前は付けなくてもいいのですか。誰とは言いませんが、
コンダク除く1st2nd3rd男子は特に。


2007年5月。~クランクイン~
ついに21名の1年生がクラシックギター研究会に正式入会した。
プロフィールは書いたのに入会しなかったもの。本当はバンドをやりたかったもの。高校卒業後芸能事務所に所属していたため3年生よりも年をくってるもの。入学前より入会が約束されていたもの。何でクラギにいるのかよくわからないもの。一人一人に何らかのドラマがあったのかも知れないが、それはあまり問題ではないだろう。役者は揃ったのだ。クランクアップの時期に差があるところまで映画そのものである。
クラギ史上例を見ない新入生の多さ。そのまとまりの無さ。彼らの想像以上の破天荒な言動と行動にクラギのもともと普通じゃない常識は覆されていくことになる。

2007年6月。~ラブストーリーとクランクアップは突然に。~
9日から10日に行われた合キャンでは、アルコール消費量が全サークルで1番だったとかなかったとか。先輩たちがことさら強調する「うちは飲みサーではない」という話を誰も信じなくなったのはこのころだっただろうか。そして水面下では裏切りも恐れぬ暗躍する影が一つ。

あの日 あの時 あの場所で 君に逢えなかったら
僕らは いつまでも 見知らぬ二人のまま

そんなことはない。しかし、突然すぎやしないか。ぶっちぎりの好スタートを切った彼はきっとこう言うだろう。
『クラギ内では付き合わない?わーマジで??そんなこと言ったっけ?ごめんごめん』
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そんな現実からは目をそむけつつ29日にはキャンパスコンサートが開催される。
この日まで辛い練習に耐えてきた我々07もまぁコメントし難い演奏を披露し、飲み会を楽しんだ。
そしてこの演奏はこのメンバーでの最後の演奏となったのである。
キャパコンが終わり次第当会を去るものがいたからだ。
キャパコンを最後に去っていった07の人数…えー数人。05会長の頭が薄くなりかけたのはほぼ間違いなく我々の責任である。

2007年8月。~ステップアップすべき時。すれ違う二人~
ここからしばらく私は日本を離れることになる。
そのころ、日本では明と道明が同じプールでバイトをしていた。そんなに仲が良かったとは思えない二人がなぜ一緒にバイトをしていたのか、私は知らない。何か二人の間に人には言えないようなことがあったのだろう。なぜなら、そうしておく方が面白いから。読者賢人の想像にお任せしよう。
辛いトレーニングに耐え、バイクに二人乗りでプールに通い、ひと夏を共にした二人の間に芽生えた友情は、実はあまりなかった。『こいつは07で唯一音楽の話ができる奴だ』と明を思っていた道明。『バイクで送り迎えをしてくれるのはありがたいけど、プール帰りは疲れてて早く帰りたいのにいつまでも食事をしないでくれ』と道明を思っていた明は実は道明のことが苦手だった。この片思いが判明するのはずいぶん先のお話。
※今は二人とも仲良しこよしです。たぶん。
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帰国早々に始まった20日から22日の音取り日では、07生も上級生とともに同じ曲を練習していくことになる。休符の謎が解けたのはこの頃。しかし楽譜の上にある意味不明なマークや数字は挙げればきりがない。私は先輩の演奏を聴いて体で覚えることに集中した。
31日に決行された07旅行はとても盛り上がったとか盛り上がらなかったとか。そう。私は行かなかったのである。とても人見知りな性格と、引っ込み思案な性格が幸いして、まぁ面倒で。私がわざわざ予定をかぶせて女の子と富士山を登っている頃、07の面々はふもとの山中湖でひたすら飲み騒いでいたとか。
このころクラギの雰囲気についていけなくなった明君は己が進退について真剣に考え始めていた―

                                          To be continued................

次回は2007年度後期活動。ルパン三世のテーマにのせて~奴は大変なものを盗んでいきました。あなたのやる気です~をお送りします。
夏合宿を目の前にまさかのハプニング!定演までもつのか?07の運命やいかに!

テーマ : ギター
ジャンル : 音楽

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